院卒の待遇にまつわる議論について

昨日お風呂に入ってるときに考えたことを整理するためのブログです。

 

テーマは主に院卒の採用について。確実に既出の話だと思うので、何か思いついたという話ではなく、議論の整理をしていると考えてもらえると幸いです。

 

大学は社会で使える人材を育成しろという企業の圧力について

 まず、院卒と関係ない方の話から。この主張って端的に言ってクソですよね。私大はともかく国公立大学は企業が人材育成コストを転嫁できる福祉施設じゃないンだわ。こういう企業は晴れてるときは新自由主義だ!成長だ!とか言いつつ雨が降ってるときは被害者ヅラしてそうなので本当に偽物でしかないと思う。日本電産を見習おう。

 

院卒が学部卒と同じ給料なのはおかしいという主張について

 院卒が評価されないことを嘆く主張だが、寧ろ院卒というだけで給料が自動的に高くなるのは意味不明な学歴差別なのではないだろうか。日本では東京一工や早慶などの名門大学が優遇されているではないかという反論があるかもしれないが、これはポテンシャル重視の新卒就活の中で主な評価対象になる言語処理や計算、論理などの基礎能力の習得状況と因果的統計的な関係があるからで、採用にかかる莫大なコストを考えると全体最適になっている可能性が高い。勿論、本当は賢いのに受験勉強が苦手でFラン大に行ってしまい、そのせいで就活に苦しむといったケースも多く存在することは否定しないが。この点から考えると、院卒がポテンシャルベースで学部生よりも因果的統計的に優位であるならば給料が高くなるべき(少なくともそうしない企業は認知が歪んでいる)ということになる。ところが、評価対象になっている基礎能力はその名の通り基礎的なものであり、例えば数学のように上には上がいるという性質が強いわけではない。数学の能力値が1~1000のオーダーで分布しているとすると、基礎能力は1~100ぐらいのオーダーでしか分布しておらず、学部生でも90を満たすことが容易なのではないか。つまり、仮に院卒が優位だとしても高々90と100の差であり因果的統計的に給料を上げるべき根拠にならないと考えられる。当然、この議論は特に何かのデータに拠っているわけではなく、私自身大学院に進学していないので予備的な考察の域をでない。反論が色々出てくると嬉しい。

 

 ここまで院卒という大きな括りで考えてきたが、もう少し詳細に検討すると院卒にもゴリゴリの理系(例えば材料工学を研究をしていましたとか)など企業で直接的に利用可能な専門知識を持つタイプと、(哲学に代表されるような)それ自体が企業で利用可能なわけではない知識を持つタイプがいるだろう。材料工学は材料系の会社で使えるだろうが、カントを利用してビジネスをする会社はない。前者の利用可能タイプについて考えると、これは既に研究室を通した就職や、専門職・研究職といった形で(総合職と比較した給与水準はともかく)、一定の評価を受けて就職しているように思われる。問題は企業との関りが薄い分野を専攻している人々の採用に絞られたわけだ。しかし、これらの人々は上述したように学部生に比べて因果的統計的に基礎能力が優れているかどうかについて疑問の余地がある。ちなみに就活四季報をパラパラと見ていると院卒の給与を学部生より高めに設定している企業もちらほら存在する。これらの企業は因果的統計的な優位性を見出していると考えられるのではないか。その判断の成否は当該企業の行く末にかかっている。また、類似の主張として院卒の力を活かす体制を求める議論もあるが、これに応じるかは企業の自由である。院卒の給与を高めにしている会社はこの議論に応じていると捉えることもできるかもしれない。これは、ポテンシャルベース以外の評価を新卒就活で行うことの是非に関わる話だが、十分考察できていないのでここでは議論しない。

 

まとめ

 まとめると、少なくともポテンシャルベースの新卒就活を前提にすれば、企業の事業分野に関係ない分野を専攻した院卒は自らのポテンシャルベースでの学部生に対する因果的統計的優位を掲げて企業に圧力をかけていくのが筋ということになるだろう。反対にそのような論拠を伴わずに、単に院卒を優遇しろというのは学歴差別のより醜悪な形態でしかない。

 

ちなみに、哲学の能力を活かす方法を自ら提示している鳥チャンのスタンスが私は好きです。自分の就活でもそれに近いことをしている。