言語化の功罪

こんばんは。みやてつです。

 

最近Twitter言語化の功罪の話が出てきたので、昔考えていたことを備忘録として書いておきます。

 

言語化の功は日頃実感しているように、自身の考えや感情を上手く整理し、次に何をすべきなのか、何が問題なのかを把握できることです。

 

逆に、罪はTwitterでも出てたように、言語化で取りこぼしてしまうものがあるということでしょうか。あと、言語化による自己規定を過度に強化してしまうリスクもありますね。下手に言語化による自己規定を強化することで、他の可能性を閉ざすことが怖いなあと思います。

 

例えば、私は人脈のハブになっていると強く認識しすぎると、自分の話をする能力が下がってしまい、結果として人としての魅力を失い、人脈のハブにもなれないみたいな経路が考えられます。

 

適度に言語化をして、自己規定をしすぎないように生きていきたいですね。

 

おやすみなさい