32歳腐女子のブログとその友人のブログを読んで

しばらく前に話題になった32歳腐女子のブログとその友人のブログをようやく読んだので軽く感想を書きたいと思います。リンクは下記。

32歳腐女子自分の子供っぽさに気づいて恥ずかしくなる

「32歳腐女子」の友人側の話。 - 腐女子、30歳、ぼやき。

 

リベラルな?みなさんが言う「自分らしい生き方」と「社会」の相克の話ですね。

 

友人側が何回も強調してるように人それぞれだから好きにしてればいい話なんですが、一方でどうもこの社会では32歳腐女子のような人間は後々詰んでしまう仕様になっているらしいので......という感じでしょうか。

 

政治哲学の用語に「理想理論」と「非理想理論」というのがあります。強調したい部分以外を捨象して説明すると「理想理論」はあらゆる人がルールを守ったりするなどの理想的な状況を前提として組み立てられる正義の理論で、「非理想理論」はルールを守らないやつが出て来るなどより現実に近い状況の中で組み立てられる理論を指すんですが、これを思い出しましたね。つまり、理想理論的には腐女子は何も悪くないんですが、現実社会はそのようにはできていないので非理想的な現実社会への適応の話に絞ると友人側が正しくなりそうということです。

 

某が指摘するように友人が「仲良くしたかったです」と最後に添えるのは健常しぐさが過ぎないかという気がしますが。

 

ところで、一つ疑問に思ったのですが、ほんとに32歳腐女子みたいな人間って詰むんでしょうか?これまではああいう人間を生み出さないような社会になっていたので先例が存在しない分、あのような人種が50歳や60歳になった時にどうなるのかは実は未知数なのかもしれません。

 

アラサーで同年代とのコミュニティを持てずに年下とエンカwとか言って騒いでる人間は現時点でかなり厳しい気がするので杞憂かもしれませんが。

 

ついでに言うと、32歳腐女子は健常への志向を一応持っているようだし異常者であることを恥じているのでここには救いがあるのかなと思います。タチが悪いのは健常者の癖に異常者ぶっちゃう人間で、この手の人間はある年齢になれば何事もなかったかのように健常者に戻る気がするので、そういう人間と比べるとまだ腐女子の方が葛藤があって好きですね。

 

私は異常者を名乗り続ける自信は微塵もないし、現にTwitterの魑魅魍魎のなかではかなりまともな部類であると自認しているので胸を張って健常な生活をしていきたいと考えています。